真の日本は明治にあり。

日本が国として自意識を確立する前、つまり江戸以前においても、国内の識字率、つまり勉強ですね、が、他国に比較して非常に高かったという。
明治の急速な近代化は、日本の場合は国民全体から押し上げた近代化だった。それが出来たのが、江戸以前からの国民レベルだった、と思う。

国として纏めようと、明治の初代政府はいろいろ頭を悩ませた。
その中でも「今後において最も重要なこと」は教育だと認識していたようである。
国民のレベルが上がればあがるほど、国が発展できる。
コレには異論がないと思う。
例えて言うと、会社の経営者と従業員のレベルが非常に高かったら、その会社は伸びるだろう。
国だって同じだ。勿論、国の中の自治体でも同様だ。教育に力を入れている県とそうでない県を比較してみればよい。条件は違うが、一番教育に力を入れているところは、その経済発展的な条件は非常に悪条件を持っているが、それでも頑張っているから。

当時は、政府に関係する皆が国をよくしていく為に頑張った。その決めたことも、自治体や国民が頑張ってやった。
勿論、才能のある人は会社を興し、その多くが「国の為になる会社」と明確な意思の元に全員で頑張った。
地域社会でも、皆が一員と自覚し、向上を目指し、目標を作り、頑張った。
それらずべてが、いたるところでの頑張りが、集合体として、比類を見ないほどの急速な近代化を可能とし、しかも、人々の「意識と社会のギャップ」がそれほど大きくならなかった。
これは、自らが頑張って国(国家社会)の近代化に貢献したので、自分が実践者だったからだと思う。

今現在、後進国においての工業化の失敗は当該国の国民レベルが、その近代化についていけていないところだ。よく見てみるがいい。「法治」の概念さえ持っていない。
「理論」を理解することが出来ない状態で、何が出来ようか?

日本の成功は、江戸以前からの「理論」の理解力が一般にもあったことだと思う。


今、日本はどうだろうか?
私が見るところは、若い人にはかなり可能性がある。私ら以上の世代より(40代以上)というとこ。
だが、「おつむの貧富の差」が江戸時代以前並に成ってきている、つまり明治よりも退化しているように見える。「ゆとり」だけのせいではないだろう。

これからは、「ゼロから」と、思い直したほうが良いだろう。
「今がゼロ」
これからどうして行けば一番いいのだろうか? と。

初代明治政府が出来たとき以上の苦労をし、我々の国・社会を再度世界一、というよりは、「我々事態が納得し、自負できる」ものにできるよう、努力しなければならないのではないか?

ただ、
政府(政治家や行政など)やマスコミなど既存の「権力」とは一歩も二歩も置いたほうがいいと思う。
彼らは自分達の利権を守ることしか考えていないからだ。
そのためには国をも売りかねない輩だからだ。
このことにも依存は無いと思う。


結びがアレなので、再度



これからは、「ゼロから」と、思い直したほうが良いだろう。
「今がゼロ」
これからどうして行けば一番いいのだろうか? と。

初代明治政府が出来たとき以上の苦労をし、我々の国・社会を再度世界一、というよりは、「我々事態が納得し、自負できる」ものにできるよう、努力しなければならないのではないか?




(資料無し。「だいたい」のレベルで取っていただければよいと思っています。大まかにおいてあってればよろしいw)


画像

"真の日本は明治にあり。" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント