うにまろの日記

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help リーダーに追加 RSS 【疑わしぃ】昭和恐慌も?【騙された?】

<<   作成日時 : 2008/07/25 18:33   >>

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もしや?
戦前からも?
世界大恐慌のときも?
などとーーーーWkikしながら開いたウィキ♪
期待に応えてくれました!


(ウィキから)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C
(ちょっとサヨ掛かっている文が気になりますが、差っぴいて読んでください)

緊縮財政によって約3億円の正貨が準備され、日本は1930年1月に金解禁を行った
しかし、前年の11月にアメリカ合衆国のニューヨーク・ウォール街で起こった株価の大暴落による恐慌は既に世界中に波及しており(世界恐慌)、日本の金解禁はその影響をまともに受けることになってしまった。

しかし、金禁輸前の旧平価での解禁であったため、実質的には円の切り上げとなり、井上蔵相の狙いとは裏腹に輸出は激減した。

更に正貨は海外へ大量に流出し、解禁後僅か2ヶ月で約1億5000万円もの正貨が流出した。
(なーんーでーー?3ヶ月前から世界恐慌が起きているわけでしょう?知らなかったの?でも、なぜ急に「金解禁」なんかやったの?誰が、どう、いつから、金解禁を推薦したの?そこを詳しく知りたい。 ら し き 者などが絡んでいても、私の勝ちだ。
下からも判るとおり、米が経済悪化する下地は出来ていたのだ。恐慌にならずとも、日本の金解禁は米経済に有利に運んだ。
しっかし、、、この頃からもう貢君に−騙されて?−されいたのか、、日本人のDNAか?縄文時代から調べてみたくなったぞwww)


1930年3月には株式・商品市場が暴落し、生糸、鉄鋼、農産物等の物価は急激に低下した。また、中小企業の倒産が相次ぎ、失業者が街に溢れた。当時現在よりも遥かに価値が高かったはずの大学・専門学校卒業生のうち3分の1が職がない状態であった。
都市にも大きな打撃を与えた恐慌であったが、とりわけ大きな打撃を受けたのは農村であった。
生糸の対米輸出が激減したことに加え、デフレに豊作が重なり米価が激しく下落したことで農村は壊滅的な打撃を受けた。当時、「米」と「繭」の二本柱で成り立っていた農村は、その両方が倒れることとなり、困窮のあまり欠食児童や女子の身売りが深刻な問題となった。
(ねぇ、対米輸出が激減=米国内産業の保護=第三国での日本製品大打撃、だよねぇ。
グローバリズムに汚染された今現在の日本の市場のような証券市場が出来ていなかたのが救いだったね!
日本システムが健在ならば、「グローバリズム」という汚染による不健全か取引の悪影響をうけないもんなのだろうね。これはプラザ合意からの過程で日本経済が「グローバリズムに汚染され」て、がたがたに成ってきたというのと、今のほぼ防御策も全く無いのに「グローバリズムに汚染された」市場を持った今の日本と比べれば一目瞭然だ。
「時代が違う!」いうバカがいるかも知れんが、当時も他国も時代が違った。でもその時代に合った方式の中で、日本システムが良かった。今はグローバリズムシステムに汚染されてがたがたじゃないか。グローバリズムなシステムが良いのであれば、汚染されればされるほど良くなって行くはずだろ?
ばかんじゃないの?)


濱口雄幸首相が、ロンドン海軍軍縮条約調印に伴う統帥権干犯問題により右翼に狙撃され、内閣が倒れると、同じく立憲民政党から第二次若槻禮次郎内閣が成立したが、有効な対策を講じることができないまま早々と倒れ、立憲政友会から犬養毅内閣が成立した。

犬養内閣の高橋是清蔵相は、ただちに金輸出を再禁止し、日本は管理通貨制度へと移行した。
高橋蔵相は民政党政権が行ってきたデフレーション政策を180°転換し、軍事費拡張と赤字国債発行によるインフレーション政策を行った(略)。

金輸出再禁止により、円相場は一気に下落し、円安に助けられて日本は輸出を急増させた。

輸出の急増に伴い景気も急速に回復し、1933年には他の主要国に先駆けて恐慌前の経済水準を回復した
(流石だねぇ!米よりすごいじゃない!!これも日本経済の基本が健全で、毛唐みたいな騙しやうそやセコさの上に成り立った出鱈目経済ではなく、日本人らしい堅実な経済を築いてきたからできたことであろう。
残念ながら、今の日本では露ほどにも可能性が無いことだ。
肝心な「財界」がエボラ末期患者の下痢弁人間だらけで、政界が「その糞に付いた寄生虫」でしかないからだ。
官僚?エボラ末期患者当人にきまっているじゃないか!)




日本は円安を利用して輸出を急増させたが、米英などからは「ソーシャル・ダンピング」だと批判を受けた。
(あまりにも見事なことやられたから言うことなかったらしいなwww毛唐ってぇやつらはwww)

米英仏など、多くの植民地を持つ国は、日本に対抗するため、自らの植民地圏でブロック経済を構築した
ブロック経済化が進むと、一転して窮地に立たされた日本もこれらに対抗することを余儀なくされ、日満支円ブロック構築を目指して大陸進出を加速させることとなる。
(ほほう、毛唐が先にはじめたことが原因なのか!しかも徒党を組んで日本一カ国を迫害)

日本と同じ後発資本主義国であり、植民地に乏しいドイツ・イタリアも自国通貨の勢力拡大を目指して膨張政策へと転じた。こうした「持てる国」と「持たざる国」との二極化は第二次世界大戦勃発の遠因となった。
(つまり、米を筆頭に、英仏が、第二次大戦を始める原因を?w以下、最後にw)

昭和恐慌として特筆されるのは、当時世界恐慌に見舞われた他の資本主義国と違って実質国民総生産や工業生産高はほとんど減少せず、先の金融恐慌の処理で信用不安の問題が殆ど解決されていたことなど、恐慌とともに起きる筈の経済現象が世界恐慌の波及時には殆ど起こらなかったことである。その代わり、農産物の価格低下、労働者賃金の低下、内需不振によるデフレは深刻なものとなった。
(健全だったのだねぇ!他人の金を転がして自分だけ楽してまるまる太ろう、なんて蛆虫の糞以下下劣虫は居なかったと見える、つーか、今の日本のそういう糞虫達は日本人じゃないのかなー?DNAチェックしてみたいもんだね♪)




ここから「世界大恐慌」の背景を見てみよう

(ウィキより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%81%90%E6%85%8C
(経済より変な政治的なバイアスが掛かってないか?↑ここ。)

第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは大戦への輸出によって発展した重工業の投資、帰還兵による消費の拡張、モータリゼーションのスタートによる自動車工業の躍進、ヨーロッパの疲弊に伴う対外競争力の相対的上昇、同地域への輸出の増加などによって「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的栄光を手に入れた。
(をいをい! 「永遠の繁栄」?言ってて恥ずかしくないか?人として恥ずかしくないか? お前らの性質はこの言葉からもようくわかるよ。他の人類の敵、以外に読めない言葉だぞ?)

1920年代前半に既に農作物を中心に余剰が生まれていたが、ヨーロッパに輸出として振り向けたため問題は発生しなかった。

しかし農業の機械化による過剰生産とヨーロッパの復興、相次ぐ異常気象から農業恐慌が発生。
(恐慌になる前に政府が把握して生産調整とかさせないのか?つーか、商人はナにやっているんだ?仲買人は。先読みしないのか?商人どうして情報やり取りしてないのか?仲買人達で販売規制とかして価格調整とかしないのか?日本の江戸時代あたりにやってたように思ったが、、、漫画がソースだったかもww日本の漫画は新聞より正確!!)

また、第一次世界大戦の荒廃から回復していない各国の購買力も追いつかず、社会主義化によるソ連の世界市場からの離脱などによりアメリカ国内の他生産も過剰になっていった。
また、農業不況に加えて鉄道や石炭産業部門も不振になっていたにもかかわらず投機熱があおられ、適切な抑制措置をとらなかった。
(あー、建国して100年くらいか、、罪人や流民の子孫に政府をまともに運用って、、厳しかったのだろう。しかも毛唐だし)

アメリカの株式市場は1924年中頃から投機を中心とした資金の流入によって長期上昇トレンドに入った。

株式で儲けを得た話を聞いて好景気によってだぶついた資金が市場に流入、さらに投機熱は高まり、ダウ平均株価は5年間で5倍に高騰。
1929年9月3日にはダウ平均株価381ドル17セントという最高価格を記録した。
市場はこの時から調整局面を迎え、続く1ヶ月間で17%下落したのち、次の1週間で下落分の半分強ほど持ち直し、その直後にまた上昇分が下落するという神経質な動きを見せた。
(今は昔から全然変わってなかったのだね♪ 賢い人たちって、なぜ学習能力ないのかなーw)



そのような状況の下1929年10月24日10時25分、ゼネラルモーターズの株価が80セント下落した。
(えーと、なぜ?なぜGM?誰かが何かを企んだ?その前の株価の動きもしりたいもんだ)

下落直後の寄り付きは平穏だったが、間もなく売りが膨らみ株式市場は11時頃までに売り一色となり、株価は大暴落した。
この日だけで1289万4650株が売りに出されてしまった。
ウォール街周囲は不穏な空気につつまれ、警官隊が出動して警戒にあたらなければならなかった。
シカゴとバッファローの市場は閉鎖され、投機業者で自殺したものはこの日だけで11人に及んだ。
(大暴騰した後、GM株を大量に買った奴っているのかなー)

(略)
翌25日金曜の13時、ウォール街の大手株仲買人と銀行家たちが協議し、買い支えを行うことで合意した。
このニュースでその日の相場は平静を取り戻したが、効果は一時的なものだった。
(信用が全く無いwww)

週末に全米の新聞が暴落を大々的に報じたこともあり、28日には921万2800株の出来高でダウ平均が一日で13%下がるという暴落が起こり、更に10月29日、24日以上の大暴落が発生した。
(28日夜に何があったのか?ニュース番組でもあったのか?)

この日は取引開始直後から急落を起こした。最初の30分間で325万9800株が売られ、午後の取引開始早々には市場を閉鎖する事態にまでなってしまった。

当日の出来高は1638万3700株に達し(これは5日前に続く記録更新であり、以後1969年まで破られなかった)、株価は平均43ポイント(ダウ平均で12%)下がり、9月の約半分ぐらいになってしまったのである。
一日で時価総額140億ドルが消し飛び、週間では300億ドルが失われた計算になったが、これは当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、アメリカが第一次世界大戦に費やした総戦費をも遥かに上回った。
(ぶっ飛んだ金って、どこ言ったの?最初っから泡だった金?)

投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めていった。
(二次災害!これが傷をえぐり、致命傷にしていく。損失埋めるなよw)

(略)
そしてアメリカ経済への依存を深めていた脆弱な各国経済も連鎖的に破綻することになる。
過剰生産によりアメリカ工業セクターの設備投資縮小が始まったのが大きな要因であり世界恐慌がさらに投資縮小を誘引したため、強烈な景気後退に見舞われることになった。
産業革命以後、工業国では10年に1度のペースで恐慌が発生していた。しかし1930年代における恐慌(世界恐慌)は規模と影響範囲が絶大で、自律的な回復の目処が立たないほど困難であった
(今の中国レベルの工業経済観念だったというわけですね。でもぷんぷん臭うねぇ。)



未曾有の恐慌に資本主義先進国は例外なくダメージを受けることになった。
植民地を持っている国(アメリカ・イギリス・フランス)は様々な政策を採りダメージの軽減に努めたが、
持っていない国(日本・ドイツ・イタリア)はそれができず
(略)
第一次世界大戦後、世界恐慌まで続いていた国際協調の路線は一気に崩れ、第二次世界大戦への大きな一歩を踏み出すこととなった。

この中で経済政策で対応し、かつ満州を経済圏として持った日本のGDPは1934年に恐慌前の水準に戻り
ニューディール政策も取ったアメリカは1941年まで恐慌前の水準に回復することができなかった
(この件でも、日本は嫉妬されたな、確実にwwwこのねたみや恐れが今まで連綿と続く「日本つぶし」の源流なのか?)

共和党のフーヴァー大統領は古典的経済学の信奉者であり、国内経済において自由放任政策を採った。
その一方で1930年にはスムート・ホーリー法を定めて保護貿易政策を採り、世界各国の恐慌を悪化させた。
(いや、放任するしかできなかったんだろ?それにぴったり合致したのが古典経済学だっただけじゃないのw)

1931年、オーストリア最大の銀行が倒産してヨーロッパ経済の更なる悪化が予想されたことに対しようやくフーヴァーモラトリアムと称される支払い猶予を行ったが、既に手遅れであり恐慌は拡大する一方だった。
1932年後半から1933年春にかけてが恐慌のピークだったようで恐慌発生直前と比べて株価は80%以上下落し、工業生産は平均で1/3以上低落、1200万人に達する失業者を生み出し、失業率は25%に達した。
閉鎖された銀行は1万行に及び、1933年2月にはとうとう全銀行が業務を停止、社会主義革命の発生すら懸念された。

こうした中、修正資本主義に基いたニューディール政策を掲げて当選した民主党のフランクリン・ルーズヴェルト大統領は公約通りテネシー川流域開発公社を設立、更に農業調整法や全国産業復興法を制定し、更にラテンアメリカとの外交方針を以前の棍棒外交から善隣外交へ転換した。
(脅しの外交から騙しの外交へと、、、)

ただ、ニューディール政策は1930年代後半の景気回復を前に規模が縮小されるなどしたため、1930年代後半には再び危機的な状況となった。
(バカ?状況をしりたいですね)



アメリカ経済の本格的な回復はその後の第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気を待つこととなる。


(米が参戦従ってたのは「戦時景気」に加わりたいから、って聞いたけど。領土意欲というか、加わって米の支配下を広げないと自分だけ損する、と思ったのだろうな。第一次対戦の経験があるからね。しかも直接主導権握れば全て思いのままだし。ライバルはめためただから参入すればに主導権握れる。これほどおいしいチャンスは無かったであろう。でも、二次大戦でおいしい思いしすぎて「その夢をもう一度」とベトナム、西アジア中東などでやって、うまく行っては失敗し、だからねぇ)


フランス
イギリスと同様、ブロック経済(フランブロック)を形成したフランスはファシズムに対抗するため、仏ソ相互援助条約を締結。そしてコミンテルンの指導を受けたレオン・ブルム人民戦線内閣を組閣する。
(フランスって、このときも赤になってたんですねぇ。面白いやつ等wwだからドイツにやられても他の国がほっといたんだ。仕方ないやねー♪)

ドイツ
元々、第一次世界大戦の敗戦で各国から巨額の賠償金を請求され、ハイパーインフレーションやフランスのルール占領などにより極度に弱体化が進んでいたドイツ経済は世界恐慌によって深刻な状態へ陥った。

アメリカ企業も次々と撤退、少しずつ復興しかけていた経済は一気にどん底に突き落とされた。結果、大量の失業者が街に溢れ国内経済は破綻状態となる。
(略)
ヒトラーはソ連での計画経済の成功を受けて作成された四カ年計画に基づき軍拡と公共事業の拡大(アウトバーンの建設等)を実施した。また、民間の重工業化を支援した。
二次に亘るこの計画により失業者は劇的に減少し、経済的な回復は達成された
(日本同様にまともなことしてうまくやったねぇ。流石ですな。でも、だからねたまれ嫌われる。まともな民族は目障りなんだとさ)


世界恐慌中の各国工業生産の推移

年 アメリカ イギリス フランス ドイツ 日本 ソ連
1928年 93 94 92 99 90 79
1929年 100 100 100 100 100 100
1930年 81 92 100 86 95 131
1931年 68 84 86 68 92 161
1932年 54 84 72 53 98 183
1933年 64 88 81 61 113 196
1934年 66 99 75 80 128 238
1935年 76 106 73 94 142 193

(1929年=100)

(ここまで抜粋。各文中にカッコつき小文字太文字で私の勝手なコメントを入れています)







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